運営・管理に関する目標設定(あるいは愚痴)

最近、働き方改革が巷に喧伝される中、ひっそりと部門内でも業務・労務管理を進めようというプロジェクトが始まりました。

その中で、業務のアロケーション・スケジュール管理をまとめ(季節的労働に近いので、きちんとしたシステムはなく手作業ですorz)、業務の配分をしているのですが、数百に及ぶプロジェクトをまとめる・調整する、というのを最初の試案では実装していたものの、担当者の変更に伴いゴールが「各担当者の残業時間の再配分と最小化」から「法定残業時間を超過しない」という形に変更されているのを見て、やれやれと思っておる次第です。

そういった発想の転換により、前者は最適化問題、後者は禁則事項に触れなければどうあってもOK、という形で問題の定義は置き換えられ、複数の回答が量産できる体制が構築されました(最適解であるとは言っていません)。

いずれの問題の立て方でも間違っているわけではありませんが、制約条件が合法ラインギリギリの線で設定されているところには、よりよい最適解が出せる可能性が高いにも関わらずそれを模索しないという点で、怠慢が疑われ、少々納得がいかない、という所であります。

また、前提にある1日当たりの勤務時間のMaxに関する定義が大分担当者間で見解が違っておりまして、管理する側と管理される側との溝はこうしてできていくんだなぁということをリアルで実感できる大変良いCaseとなっております。これが社会レベルになると資本家による搾取と労働者の連帯による抗争…といった話になっていく…のかもしれません。

最初の案の時に、新担当者にもう少し仕事をぎちぎちに詰めておくべきだったというのは素案を担当した小生の反省点であります。

ちゃんと、配分の結果が自分の楽さに繋がるように設計しておく、当事者意識を持たせるということがプロジェクト管理をするにおけるレベル感・ディテールをどこまで詰めるかというモチベーションにもつながるのではないか、ということをリアルに気づけたのは良い発見だと思います。

そのゆるゆるな管理からは脱して自治権を獲得することを目標にしたいと思っていますが、同時並行をさせてみて、どっちの方が成果的には良いのか(上限を決めてハードルを越えない形で管理、最適解を追及する)、という点は振り返ってみると面白いかもしれないと思っています。